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「死にたい・・・」 うつ病の母がインド旅行に行くまでに回復した話

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「死にたい・・・」

車のフロンドガラスに指でなぞった跡。

小学生のぼくには何が起こっているのかわからなかった。

 

今、うつ病は一つの病として診断され、社会の中で認知されてきている。

でも1990年代はまだうつ病が世間に全然知られていなかった。

今日はうつ病の母さんと家族がどう変化していったのかを話そうと思う。

 

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私なんていなくていい

 

それは何が原因で始まったことなのかは全くわからない。

 

「私なんていなくてもいいでしょ」

母さんは涙を流している。

きっといつもの夫婦喧嘩。

そう思っていた。

 

車のエンジンの音が聞こえる。

きっと父さんがドライブにでも出かけたんだろう。

父さんは苛立つことがあったり、ケンカをしたりすると、気分転換のためにドライブをする人だった。

この時もそうだと思っていた。

 

お母さんがいない

 

昨日の夜、車ででかけていたのは母だった。

 

「いってらっしゃい」

前日どんなに喧嘩をしても、玄関まで家族を見送る母さん。

今朝はそんな母さんの姿がなかった。

 

「ねえ、母さんは?」

「用事があってでかけた」

 

母さんが子どもたちに何も言わず、朝いないという記憶がなかったぼくは不思議に思っていた。

この頃から家族の歯車が狂い始めていった。

 

母が家にいない時が増えた

 

「おかえり」

学校から帰ってきたときには、いつものように母の姿があった。

「お母さん、朝どこに行ってたの?」

「うん、ちょっとばあちゃんのうちにね。ごめんね」

 

それから父とケンカを頻繁にするようになった。

泣いている。。。

子どもたちの前ではできるだけその姿を見せないようにしているのがわかる。

 

でも何かがおかしい。

子ども心にそれは感じていた。

 

少しずつ母がいない日が増えていった。

 

「お母さん、いつもどこいってるんだろう・・・」

その時代は携帯電話もまだなかった。

だから連絡をとることもできない。

バングラデシュからLINEを送っても、すぐに連絡がとれる今では考えられない事だ。

 

家族の問題が原因だったかはわからない。でもぼくは少しずつ人と関わることが苦しくなっていった。

心が弱っている母さんに学校での苛立ちをぶつけてしまう自分。

「母さんはぼくの気持ちなんてわからない」

いつもそういって母さんを苦しめていた。

 

母さんがやばい

 

それは父さんと車に乗った時だった。

 

少し曇ったフロントガラスに、はっきり見える「死にたい」の文字。

母さんが、やばい。

 

ぼくたちは母さんに何が起こっているのか想像もできなかった。

インターネットで検索するような時代ではないし、家の事情を周りに相談できるわけでもなかった。

 

もしかしたら、母さんが死んでしまうかもしれない。

ぼくは今にも泣き出してしまいそうな自分を抑えるので精一杯だった。

なんなの?

どうなっちゃうの?

誰か、母さんをどうにかして。

このままだと家族がバラバラになってしまう。

 

ぼくは父さんが悪いんじゃないかと思っていた。

父さんが母さんに優しくしてあげないから。

いつも怒鳴っているから。

 

うつ病

 

母さんはうつ病という病気にかかっていた。

正直よくわからなかった。

その当時は亭主関白気質が強かった父が、うつ病への理解があるわけもなく、気持ちが弱いだけだと思っていたに違いない。

 

母さんは誰よりも人に気を遣う人だった。

自分のことはいつも後回し。

父さんと子どもたちがなによりも優先で、理不尽だなと思っていたとしても反論することもなく、ごめんなさいと謝るだけ。

 

私は要領が悪いから。。。

母は不器用で、人一倍頑張り屋なのに、いろんなことに上手くいかない。

自分に自信もなく、誰からも褒められることもない。

常に全力投球で、疲れて寝込んでしまうまでやり通してしまう。

 

我慢して、これが幸せなんだと言い聞かせてきたのかもしれない。

そんなことが積もり積もって、徐々にうつを引き起こしていったんだろう。

 

今では母さんうつ病だったんだよねと誰にでも言えるようになったが、この時は言えるはずがなかった。うつ病がなんなのかさえもわからなかったのだから。

恥ずかしいとさえ思っていた。

母さんは弱い、自分だったら絶対そうならない。

最低なぼくはそう思っていた。

 

母を変えたのは人との出会いだった

 

ぼくは正直当時のことを詳しくは覚えてない。

なぜなら、今は見る影もないほど母さんは変わってしまったから。

 

母さんが少しずつ良い方向に向かっていったのは一人の女性との出会いだった。

つかず離れずの関係だった知人と、気分転換にお茶をしたことがきっかけだった。

 

料理に没頭するようになったり、

少し疲れたなと思う時は寝る時間を増やしたり、

外に出て人と触れ合う機会をできるだけ作ったり、

外の世界を知ることで、外の情報を知ることで、少しずつ少しずつ、自分を取り戻していったように思う。

 

その彼女とは今では大親友で、悩み事があるといつも相談するという。

 

たった一人との出会いが、その人の人生を変えるきっかけになる。

ぼくは母さんのうつ病を通して、気づかされたきがする。

でもここまでくるまでに、どれだけの年数がかかったことか。

 

前向きな言葉

 

母さんは感受性が強い。

愛犬と散歩していて綺麗な星空が見れたときは

「ありがとね。ハナコ(愛犬の名前)がいてくれたおかげで、こんな綺麗な星空が見れて、母さん幸せだわ。」

 

ぼくはその言葉をきいたとき、この人はなんでこんな優しく、素直な言葉を発せられる人なんだろうと思った。

 

ネガティブ思考だった母が、いつもプラスの言葉を発するようになった。

ぼくが海外にいくとき、いつも応援し、サポートしてくれるのが母さんだった。

「あんたは、どこに出しても恥ずかしくない人だから、精一杯好きなことやって生きなさい」

 

「死にたい・・・」

と書いていた母とまるで別人のよう。

 

好きなことをやるなんて、考えたこともない人だったからこそ、子どもには好きなことをやってほしい、だからこそ自分のやりたいことを我慢し続けてきたんだと思う。

ぼくは親になったとき、そんなことができるだろうか。

誰よりも家族のことを優先して、家族がやりたいことを応援できる存在であれるだろうか。

 

子どもたちが全員親もとから離れた今では、父を放っておいて、自分の好きなことをたくさんしている母さんは、心から人生を楽しんでいるように見える。

「母さんのこと心配しなくていいからね。いまやりたいことができているから。」

 

インドにいってくるわ

 

母さんインドにいってくるから。今、インドを見とかなきゃいけないって思ったの

 

はい??????????????????????????????

海外旅行は新婚旅行で行ったオーストラリアだけ。

数十年ぶりの人生2回目の海外がインドって、どんだけ度胸座ってるの。

50代のおばさんが、友人と一緒といえどもぼくも行ったことがないインドへ。

 

インドへ行く前に電話でうつ病のことを色々と話した。

ぼくは親元を離れてからの方が、母と話す機会が増えた。

お互いを高め合える存在として親子というよりも、ビジネスパートナーのようなそんな存在。

 

初めて明かされたうつ病との戦いの話。

それはもう知らないことだらけだった。

子どもたちに心配をかけまいと、言わずにきた知られざるうつ病の要因。

それはここではかけないような、耳を疑う家族関係。

母さんがどれだけ自分を抑えて生きてきたのかがわかった。

 

母さんは心が弱いんだと思ったあの時の自分を責めたい。

すごく強い人だった。

 

一番驚いたのは、完全に治ったと思っていたうつ病は、実は20年たった今でも完全には治っていないという。

うつ病は一度発祥すると、回復したとしてもいつ再発するかわからない。

だから定期的に薬を服用したり、診断を受けたりしなければいけない。

母さんはそれをしっかりと受け止めて、自分がしんどくならないようにコントロールしているという。

 

インドに行くことを決めたのも、自分の知らない未知の世界に行って、小さい世界から自分を解放したかったんだと言う。

「普段悩んでいることが、世界に行ったらたいしたことないじゃん!って思えるかもしれないもんね」

母は言う。

 

思いっきり好きなことをしなさい

 

「好きなことをして生きなさい」

母はずっと我慢して、好きなことができなかった。

それがダメなことだったわけではないけれど、自分を苦しめてしまったと。

 

おかげでぼくは好きな人生を送る人間になった。

まだまだ完全に好きなことだけをやれている人生ではないけれど、それでも海外で生活するという小さい頃からの夢を実現させている。

 

変な言い方だけど、うつ病になった母の存在がなかったら、今の自分はいなかったかもしれない。

 

ぼくもうつ病になるかもしれない

 

ぼくはどちらかというと、自分の意見をはっきりもっていて、物おじせず、新しいことに飛び込んでいく性格。人との付き合いも好きだけど、マイペースと言われるくらい自分の世界をもっている。

ストレスのコントロールもそれなりにしているつもりだし、発散方法も自分でわかっている。

だけれど、うつ病になるかもしれないと自分で思いながら生活している。

 

未来に何が起こるかなんてわからない。

母という身近な存在がうつ病になったことで、ぼくもいつなるかわからないというある意味での危機感はもっている。

 

だからこそ、手前みそだが「今を生きる」ためにバングラデシュにいる。

バングラデシュにいると、自分の大切にしたいことをいつも思い出させてくれる環境だから。

「家族や友人を大切に思うこと」

当たり前じゃん!と言われそうだが、普段の生活に追われていると実はなかなかこれができない。

バングラデシュの人たちと関わっていると、常にこのことを思い出させてくれるのだ。

だからぼくはバングラデシュが好き。

 

家族を大切にしたいと思う気持ちは、きっと母さんがうつ病という病を通しておしえてれたことなんだと思う。

 

ステーションまとめ

 

うつ病になった母さんの後日談だが、家のいないときはだいたい実家に帰っていたという。

ばあちゃんが「泊まっていきなさい」と言っても、子どもたちが待っているからといつも家に戻っていたという。

 

日中、家にいなかった時もあったけれど、無断外泊したのは「死にたい」と書いたその日だけだった気がする。

 

死にたいと思いながらも、いつも家族のことを考えてくれていた母に頭が上がらない。

「ほんとあの時は大変だったんだから」

ばあちゃんと笑い話ができる今が本当に幸せだ。

 

うつ病の家族を持つみなさん、もしどう接していいかわからない、どうやって回復にもっていったらいいのだろうと悩んでいたら、ぜひご連絡ください。

ぼくが解決できるわけではありませんが、話ができる相手がいるだけでも違うと思います。ぼくは母の状態を誰かに話すことができなかったので、いつもモヤモヤした気持ちを抱えていました。

本人はもちろんのこと、家族だってどうしていいかわからないですもん!

ぼくはそのことだけは実体験をもってわかっています。

 

 

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