バングラデシュに住んでいるぼくですが、4か月ぶりに日本に2週間帰国していました。
家族や友人に会ってリフレッシュでき、日本は過ごしやすいなと感じました。
しかし同時に違和感もたっぷり感じて帰ってきました。
今日はその違和感について書いているので、{そうそう}と共感してくれたあなた、ぜひぼくのブログの読者登録とtwitterフォローお願いします!
いよいよバングラデシュです。出国ゲートでべんがる語聞こえて安心感はんぱない。地元に帰る感覚
— J@Bangladesh (@JisinBangladesh) 2016年4月28日
はっきり言うことが良しとされない違和感
もともと人に対してはっきり物事をいう性格だったけど、更にはっきり言う人になっているみたいなんです。
自分では気づかなかったのですが、「ここはバングラデシュじゃないからね」と言われることが何回かありました。
自分ではそんなにはっきり言っているつもりではなくても、しみついてしまっているのでしょう。なんでも言っているつもりはないですが、嫌なことや主張したいことは、言わないと物事が進んでいかないので、すぐにいう癖はついています。
それが日本では必ずしも良しとされないのです。
あ~違和感。
宗教と政治の話ができない違和感
友人とたまたまアラブ地域やイスラム教の話題になって、その人と違う意見をもっていたので、持論を言ったんです。
そうしたら、宗教や政治の話は面倒だから話題を変えようとなったのです。
確かにこれらの話題は自分の身に危険を及ぼしかねません。
バングラデシュでは無宗教を宣言したり、イスラム教徒を批判してブログに書くと、殺される事件も起きています。
慎重になる必要はあるけれど、友人と議論も交わせないなんてなんか解せない。
あ~違和感。
日本における宗教と政治についての歴史を知りたい方はこちらがおすすめです。
報道が偏っている違和感
視聴率や視聴者からの反応を過度に意識しているあまり、本来報道すべきことやいうべきことがないがしろにされてる気がしてなりません。
例えば今回の熊本地震において、家族が行方不明になっていたり、つらい状況になっている人をなんでインタビューするのでしょうか。泣いて言葉を詰まらせてまでインタビューに答える必要はないと思います。
同情を誘う報道が多くてびっくりしました。
また震度7を記録した熊本県の益城町には自衛隊がいて、この町は自衛隊で働く世帯が多く住んでいるそうです。
知っていましたか?
彼ら自身も被災しながら、自衛隊という立場上、救助活動や復興作業を行っているのですが、その報道ってありました?ぼくは全然耳にしませんでした。
報道の自由がある日本ですが、今や国家機関に情報を操作されているのは多くの人が既知のことだと思います。
あ~違和感。
15年も前に報道の自由の危機について警鐘を鳴らしている人がいます。
ステーションまとめ
今回は日本の快適さと同時に感じた違和感について書いてみました。
こんな事言ったら日本人なのにって言われそうだけど、日本人だから日本人の感覚でなければならないことはない
— J@Bangladesh (@JisinBangladesh) 2016年4月17日
日本は安心するけどなんか違う。住むとかじゃないなという感覚。時々きて家族や友人とあってアイデンティティ確認する。それだけいい
— J@Bangladesh (@JisinBangladesh) 2016年4月17日
日本は快適だし、好きです。
でも今や日本で生活するメリットを感じられない。
日本という母国があるからこそ、外に出てチャレンジできるのです。
次回は9月に一時帰国します!