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結婚願望ZEROだった僕が結婚した理由

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結婚願望ZEROだった僕が結婚した理由

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 これなんでしょう?

 見ればわかる婚姻届。赤く印をつけたところは空欄。一般的には役所でもらってくる為、その役所の区市町村名が書いてある。色は茶色をイメージしていた。

この婚姻届はピンク。ブライダル雑誌のゼクシィの付録としてついているのだ。

 

zexy.net

ゼクシィって常識?僕は全く知らなかった。ゲームの種類かなんかかと。

2015年7月までゼクシィすらしらなかった僕が、2016年元旦にこのピンクの婚姻届を提出することになるとは、地球の裏側に行った気分だった。

一生結婚しなくていいと思っている人は少なからずいるはずだ。その人たちに結婚を勧めるわけではないが、何が起こるかわからないことをこのステーションで届けたい。

 

結婚願望がZEROだった理由

海外生活をすることが基準だった

生活のベースを海外に置く気持ちが強かった為、結婚相手の気持ち、子どもによって妨げになると考えていた。結婚となると相手の家族も少なからず影響があると思った。

それは嫌だった。予てからの夢だった青年海外協力隊として活動したからには国際協力の分野にキャリアチェンジする覚悟だった。

任期終了後の進路の一つとして海外の大学院に行くことも念頭に準備も進めていた。準備期間もいれると2~3年はまた海外生活になる。相手がいたとしても「待っててくれ」とは言いたくないし、大学院終了後も日本に戻る保障はなかった。

女性を幸せにする覚悟がなかった

元々、女性や男性と性別で何かとわける感覚が好きではなかった。女性は家庭を守り夫を支える。男性は家庭の大黒柱で稼ぎ頭。

そういう考えがダメと言っているわけではない、僕には合わない。だから「あなたを幸せにするから、ついてきてくれ」なんて言えるわけがない。

結婚したとしたら、幸せって二人で、もしくは家族みんなで作り上げるものであって、男性だけが作り出すものではない。そう考えていた。

金銭的な心配

結婚となると、二人での生活。子どもが生まれれば三人以上。これまで一人で生活し、自分のためだけに使えていたお金が自分以外の誰かの為に費やさなければならないと思うと、自信がなかった。

語弊がないようにいうが、誰かのために自分のお金を使いたくないわけではない。でも自分がやりたいこと、行きたいこと、食べたいもの、欲しいものに自分の決定だけで費やせたものが、そうではなくなることに恐怖を感じていた。

もう一つ金銭的なことでいうと、学生奨学金を借りていたため、しばらく返済しなければいけなく、結婚してもそのことを家族で負担していくことに気が引けた。

結婚が人生で必要なものという風潮に反抗していた

25歳くらいの頃、初めて身内に「そろそろ良い話が聞きたいな」とぼそっと言われたことがあった。

良い話=結婚

身内なので嫌な気分はしなかったが、返答に困った。今となればもう少しやんわりした表現があっただろうと思うが、「結婚したくないんだよね」と答えた。

それ以降、友人の結婚出産が増え、「J。もそろそろじゃない?」という会話が増えた。30歳が近づくにつれおさまる気配がなかった。

そんな感覚に少し疲れもあった。同時に結婚しない=社会不適格者なのだろうかとも考えるようになった。しかし考えれば考えるほど結婚はしないと頑なになるだけだった。

 

結婚を考えるようになった理由

 

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弱い部分を話せる相方ができた

青年海外協力隊として活動している最中、一人の女性とお付き合いをはじめた。これについては機会を見つけて書くが、ここでは詳しくは触れない。

これまでお付き合いをした人に自分の弱い部分を見せることは一切しなかった。むしろする必要がないと思っていた。

それが何も隠さずなんでも話したいと思う相手だったのだ。口を開けば愚痴やマイナスなことを言いすぎる、というのは好きではないが、誰にも言えず苦悩していたことを言うことができたときの嬉しさと安堵感が、僕を変えっていった。

もしかしたら心のどこかで、弱い部分を見せられる相手を求めていたのかもしれない。

バングラデシュの家族の在り方と結婚感覚

結婚を考えるきっかけになったの間違いなくバングラデシュに住んでいたからだ。

日本に住んでいた時と比べ物にならないほど、「結婚しているのか」していないとわかると「いつ結婚するんだ」と言われるため、毎日のように結婚を一度は考えるように自然となる。

「結婚したくない」というと、

「結婚しない人生はない」と必ず言われる。

ここまではっきり言われると、反論する気持ちはなくなる。

2年間の活動を通して、バングラデシュの家族と沢山触れ合ってきた。その中で家族と助け合い、家族の為に生きている彼らの姿を見て、自分の人生の中で結婚を取り入れ、家族ができるという感覚をもってみたいと思うようになった。

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結婚を決めた理由

結婚願望がZEROだった理由が結婚の理由

最初に述べた結婚願望がZEROだった理由を覚えているだろうか。

  1. 海外生活をすることが基準だった
  2. 女性を幸せにする覚悟がなかった
  3. 金銭的な心配
  4. 結婚が人生で必要なものという風潮に反抗していた
結婚しても海外生活をすることができる。結婚した今バングラデシュに戻って住んでいる。
「J。こそ男性が幸せにするものだと思っているから、覚悟ができないんじゃない?二人で幸せを作り上げればいいでしょ。」とがつーんと言われた。
足りなければ二人で稼げばいい。そして結婚するからといってやりたいことができないと思いこみすぎ。できる方法を家族で考えればいい。一人よりも可能性が広がるかもしれない。
バングラデシュに住んで、そんな反抗心はどこかに消えてしまっていた。

 

なんとも結婚したくないと思っていた理由が、全て解消されてしまった。

結婚した方がやりたいことができるかもしれない

結婚したら、自分のやりたいことができない、相手に迷惑をかけてしまう、振り回してしまうという勝手な考えは間違っていた。

相手と接するうちに、考え方を知り、

「もしかしたらこの人とだったら、自分がやりたいと思っていることが結婚してもできるかもしれない。」

と思うようになった。だったらJ。との結婚を考えて付き合ってくれているこの人との結婚を決意しないのはおかしい。

そして今やりたいと思っていることが、結婚後もやりたいことなのかわからない。結婚後もやりたいと思うなら、その中でできる方法を相手と、そして家族と考えよう。きっと一緒に考えてくれる。そう確信できた。

子どもがほしい

バングラデシュで生活するまで、子どもと接することが苦手だった。子どもは苦手と感じている人を察することができるのか、子どもに懐かれることもなかった。

そんなJ。がわんさかといるバングラデシュの子どもたちと触れるたび、子どもの可愛さ、すばらしさ、尊さを知るようになった。

「自分の子どもがほしい」

相方と子どもの名前を三人まで決めるほど、子どもの話をするようになった。

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これはバングラデシュで撮った子どもの写真の中で、最高の一枚。

実は相方のおかげで撮れた写真なのだ。二人で協力して撮った思い出の写真。

帰国後、とある小さなフォトコンテストで入賞した写真。

 

ステーションまとめ

  • 結婚願望ZEROだったJ。がどうして結婚するに至ったかの備忘録
  • 人生どう考えが変わるかわからない。だから絶対はない
  • 結婚したい人向けのHow to記事ではない
  • 今別々に生活している妻への想いも込めたノロケ


日本とバングラデシュ、直線距離約4500kmの結婚生活をどうやって送っているかについてはまたのお楽しみ。

本日はここまで。次のステーションへGO!

 

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